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西垣
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映画を観る時って、"どこ"を気して、または、気になっちゃいます?
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加門
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プロっぽく観る見方って一番映画をつまらなくしているような気がするんで、
なるべく一映画ファンとして観るように心がけているけど、つい演出に目がいったり、役者の芝居の上手な箇所なんかを気にして観てたりするかな。
それと、それぞれの映画にはそれぞれの"売り"があるからそれを気にしながら観ている。
後、3番手ぐらいに"映像(画)"かな。
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西垣
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好きな映画は?
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加門
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アクションとかVFXやCGものは、最初は「すごいな」とか思うんだけど、飽きるんだよね。
やはり"お話し(ストーリー)"重視の作品が好きかな。
最近のVFXの進化はすごいよね。将来、役者がいらなくなっちゃうかもね(笑い)
『20世紀少年』を観たんだけど、ここまで日本のVFXやCGも来たんだ。というかんじがしたよね。
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西垣
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『20世紀少年』もそうなんですが、
原作がある映画って、原作を読む派ですか、それとも読まない派ですか?
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加門
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映画を観てから原作を読もうとは思わないんだけど、
昔は読んでいた本が映画化されると、その映画を観てみたい。と思うほうだった。
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西垣
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原作がある映画ってどう思います。
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加門
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本が「いいよ」とかみんなに云われていて、映画になったら「やっぱり原作のほうがよかったね」とか評される作品数のほうが圧倒的に多いじゃない。
一冊の本の長さを2時間程の映画の尺に納めること自体、限界があると思う。
観る方もそういった想いで観てくれると、少しは優しくなるかも(苦笑)
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西垣
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加門さんも原作ものを演出しているでしょ?
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加門
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原作がある場合、以外と俺は(演出方法は)原作に忠実な方じゃないかな。
原作に描かれている本質や意図は何だとかを念頭に考えちゃうからね。
でも、俺が撮る限りに俺っぽくにはなっちゃうけどね。
逆にオリジナル作品の場合は、自分色に染めるモードに走っちゃう。(笑い)

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西垣
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脚本の出来の"良し""悪し"というのがあると思うんですが、
脚本の出来が悪くても演出家の力で何とかなるもんですか?
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加門
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いい本(脚本)があってこそ演出が光るんだと思うだよね。
だから本がつらかったら、どんなにがんばってもソコソコしかいかないよね。
本と演出はある意味、表裏一体だと思う。
映画を観たときは、この箇所は本が足りていないんだろうなとか、この箇所は演出がカバーしているとか、本と演出の出来不出来を同時進行で感じているかな。

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西垣
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ト書きの解釈って難しくありません?
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加門
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ある程度の(本の)出来だったら、科白の解釈にはそんなに差はないはず。
ト書きの解釈が演出家の腕のみせどころかもしれないね。
でも、最近はその科白の解釈さえ危うい役者さんが増えてきているから、そこに演出のエネルギーを費やしたりするとね・・・。(苦笑)
「なぜ君はこの科白をこの言い回しでしか言えないんだろうね?」と言う機会が増えている。
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西垣
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そんなときはどうするんですか?
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加門
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その役者を責めるんじゃなくて、
「科白の言い回しには幾通りもの表現や方法はあるけれども、そのチョイスした言い回しだと、次の人の科白の言い回しはこうはならないよね。だからそのチョイスした言い回しは違うのかも知れないね」という話をすると、役者も聞いてくれるかな。
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西垣
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本を読み切れない役者が増えてきたと・・・。
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加門
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そうだね。
いろんな意味で勉強をしていないね。
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西垣
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舞台にしろ映像にしろ"やる"ことだけで満足していて、
自分自身が本を読み切れていないことさえ読み切れていない役者もいますからね。
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加門
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哀しいことだよね。
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西垣
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テレビの撮影の場合、順撮りということは少ないじゃないですか。
(※注【順撮り】台本に書かれている順番に添って撮っていくこと)
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加門
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ほとんどないですね。
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西垣
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制作の都合上、台本上の同じ場面(場所)でのシーンは固めて撮影しますものね。
その場合の台本の読み取りって大変ですよね。
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加門
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2時間ものや1話完結ものは別だけど、大変だと思う。
例えば、昼オビの番組は、月曜日から金曜日までの五日間が一週分として一冊の台本にまとまってくるんだけど、撮影はバラバラに行われるわけ。
連続ものだから、次の週の複線になる科白や場面あるんだけど、
ただでさえ一週間分の自分の科白を憶えるだけで手一杯な役者に、次の展開を計算した上での"科白の言い回し(心情)や動き(表情)"を求めるのが酷になる場合がある。
その状況を解った上での演技のダメ出しやOK。さらには、演技(役柄)を理解するための助言を明確に出すのが重要だったりするんだと思うね。
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西垣
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それは演出部の仕事ってことなんでしょうか?
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加門
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スタッフというより、それは"演出家"の仕事だよね。
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西垣
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ということは、演出家は事前に次の展開も打ち合わせをしている。ということですよね。
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加門
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そうだね。
演出家が本作りにかかわっている。ということなんだけど、撮影や編集作業が入ると忙しくてかかわれなくなる。
その場合は台本を読んだ時点で先の展開を見越した発想をして、プロデューサーと「次はどうなるんだ。どうしたいんだ。落ちどころはどこなんだ」とデスカッションをするわけ。
例えば、第3週辺りを撮影しながらも、「最後の第12週では主人公をどうしたいんだ」とかの確認をしつつ、(演出の)指針を決めておかないと、自信を持って役者へのダメ出しやOKを言い切れなだろう。とね。
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西垣
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最後を見越してですか。
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加門
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最たる例なんだけど、
まだ役者もスタッフ側も手探りな第1週分を撮影している中で、「監督。タイトルバックを撮らないといけません」というオーダが出るわけ。
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西垣
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そうした場合、どうやってタイトルバックを撮るんですか?
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加門
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いろんなサジェスチョンをしながらビジョンがみえたときに。それは「こうなってほしい」という願望だなんだけどね。
『ママはニューハーフ』の時は、いろんなことがあるだろうけれども、最後は二つの家族・4人が並んでマッチ箱のような街の坂道を歩いて行って、土手で楽しく遊んでいる。こんな終わり方になるんじゃないかな。なってほしい。という想い(ビジョン)が見つかった時にタイトルバックをこうしようと。
そういう想いを持ち続けることが、以降の本作りでの場でも自分の(演出の)指針にもなる。
(演出の)指針がないと役者の方も困るし、不安だよね。
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西垣
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演出方針とか指針がない監督や演出家では現場は混乱しますものね。
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加門
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役者から「監督を信じます」という言葉をもらえた時は、変な言い方だけど「勝ちだな」と思うわけ。
いいかたちで撮影が進むよね

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(続きます)
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